歌合乱舞狂乱 感想①
あまりにも長くなったので分けました。
今回は冒頭の神事部分の辺り。
自分的には考察にまでは至っていない情報整理やら気付きのメモみたいな感じです。考察もどき。
さて、何を語ろうかな…さてさて何を…と思わず青江さんになってしまいそうなくらい要素盛り沢山だった歌合、本当に楽しかったです。
元々歴オタ気味で古典も好きだったので何かもう好物が今回も大波で押し寄せて来たぜ状態で!笑
とは言っても大学で民俗学やら古事記やら講義受けたな〜とか昔本読んだな〜程度なので記憶があやふやだったりなのですが。
まあ、個人の感想ですし、凄い考察とかでもなく思いつきをつらつら記録として残しとこうかなという感じのやつです。
まずは今回の歌合、今回の神事についての所感を。
考察と言えないのはあれです。あやふや記憶が殆どで、出典とかが提示出来ないからです。
さも当然のように書いてても記憶違いとか認識違いがあるかも知れないので!笑
神事に興味ない、普通の感想だけ読ませろ〜って方は今回そこまで辿り着かなかったのでこの記事はパスして下さい。
さて。
イワサク
ネサク
イワツツノオ
ミカハヤヒ
ヒハヤヒ
タケミカツチ
クラオカミ
クラミツハ
公演前に何の説明もなく上げられた えおえおあ極動画での謎の誦文は、産まれた瞬間にその炎で母のイザナミを死に至らしめてしまったことに怒った父のイザナギによってカグツチ(火の神)が十束剣で八つ裂きにされて殺された際に岩に飛び散った血から生じた八柱の神の名をこの記事で言うと縦読みしたものでした。
動画出た日は気になるけど今から仕事じゃよ〜〜ってタイミングだったので暗号はまた後で…ってなってたんですが、即座に気付かれた方が何人もいてツイッターの集合知っぷりが凄いな、となった思い出。
因みに八つ裂きにされた死体の八つそれぞれのパーツからも八柱の神が生じますが、そちらについては刀剣男士達は歌いません。
何故血液側なのか。
・イワサク、ネサク、イワツツノオ…岩、石、土にまつわる神
・ミカハヤヒ、ヒハヤヒ、タケミカツチ…火にまつわる神
(タケミカツチは雷神ですが、雷は火を生じさせる為、火の括り。また、各神の性質によるこの3:3:2の分類は血液が剣のどの部分から滴ったものか、での分類と重複している。)
・クラオカミ、クラミツハ…水にまつわる神
と、このように血液側の八柱は鍛刀に欠かせない要素にまつわる神々なのですね。
そして更に日本書紀においてはイワツツノオが剣の神、戦の神であるフツヌシの祖である、と示されているのも理由かな、と思います。
あと、八柱の中のタケミカツチ=建御雷神は彼単体で雷神であり軍神であり剣の神でもある。
八つ裂きにされた時の血液側の八柱の名前しか出て来なかったけど死体側がもしかして時間遡行軍なのかな…表裏一体なとこあるしサブステから出て来たの八人だったし「こちらへこちらへ」と呼ばってたのも「あちら」では刀剣男士として顕現できないとか…?
まあ、千秋楽配信見ながらこんなことも考えてはいたのですが。
でも死体側の神ってみんな○○ヤマツミで、みな山にまつわる神なのですね。
同じ剣によって生じた神でも、血液側とはちょっと性質が異なるのかな…と。
次に、冒頭に鶴丸が口上を述べた後の『神遊び』の歌い出しの歌詞「いかばかり 善き業してか 天照るや 昼目の神を 暫し留めん」は神事の際に歌われる神楽歌の「昼目」の本歌そのものということを他の方の感想ツイで知りまして。
調べてみたら、昼目は秘曲で大嘗祭でしか使われないとのこと。
大嘗祭と言えば天皇陛下が即位した年に執り行なわれるもので、この公演が始まる10日前の令和元年11月14日に行われました。
通常なら毎年11月23日に新嘗祭が行われますが、大嘗祭を行う年には新嘗祭は行われず、大嘗祭は天皇の代替わりが条件なのでそうそう行われない。
そのタイミングで昼目を歌詞に取り込むのはもう狙ってますよね?!と言わざるを得ず…:(>^o^)>:
大嘗祭も新嘗祭も平たく言えば収穫に感謝する秋祭りです。昼目の神はイコール太陽神である天照大神。
カグツチの血から生まれた八柱に天照大神ってめっちゃスケールデカいですね????待って??
現地で公演見た時は設置された刀は神降ろしの依代として、後ろの岩は何を表してるんだろう、神を降ろす依代としての磐座なら既に刀が用意してあるから、これは別の……そうか、カグツチの血が付いた岩から八柱は生じたからその岩を模してるのかな〜?とか、何ならカグツチの墓か?(三重県の花窟神社にカグツチの陵と言われてる巨岩があるので)とか考えてたんですけど、「昼目の神を暫し留めん」ってことは岩は天照大神の為の磐座とも取れる…??
待たれよ…これめっちゃ神事ではないですか???
歌合は11月24日の長野公演から始まりましたが、そう思うとこの日程も大嘗祭のちょうど10日後ですね、とか代替わりがなければ前日の23日が新嘗祭でしたね、とか何か色々勘繰ってしまえる日程で…(頭抱え)
顕現する男士が最初はずっと桑名江で、1月11日の愛知公演から松井江に変わりました。
公演のちょうど真ん中というわけでもなく、新年明けてすぐでもなく、何故????と考えたんですが、日付的に思い当たるのは鏡開きくらいで。
ここから連想して公演開始日にも意味があったのでは?→大嘗祭(新嘗祭)付近だ??→鶴丸が昼目を歌ってる…!やっぱり日程に意味がある??と首を捻った結果、秋の収穫祭〜マレビト(客人)である歳神(=農耕神であるとも言われている)を迎える正月松の内までは畑仕事が好きで農業に縁のある桑名江が顕現して、鏡開きの1月11日以降は血を流し流されと嘯く(=俗世に近い)松井江が顕現するのかな??などと考えたりしてました。
歌合が終わるのも1月23日でほぼまる2ヶ月間なので、日付にも意味があったのかな〜とか。
他にも豊前江発表のタイミングと併せて玉集めの数に対応してる説とかもあるようで、そちらも説明見るとなるほどな〜と思えるので、まあこんな考え方をする奴もいるよ、程度の与太話に取って下さい。
そして鶴丸の口上。
これは古今和歌集の仮名序で言ってることをアレンジしたもので、終わりの神降ろしの時には「やまとうたは ひとのこころを たねとして〜」と仮名序そのものの言葉を語ります。
この文言は今回のキービジュアルの背景にも書いてありますね。
男士達それぞれの浄衣の前裾と袖括りの緒の色は歌合の左方(赤の装束を着る)と右方(青の装束を着る)に対応しています。鶴丸は判者なので赤でも青でもない白色を着用。
刀剣男士達が左右に分かれて歌合をし、その歌を火に焚べて神を降ろす神事を執り行なう…。だからスケールどうなってんの????!という…何だこれ我ら何見せられてんの???
つか、前もって例の誦文動画が提示されたり前説でも練習させられたり、さては観客であるこちらにも審神者として神降ろしの片棒担がせる気満々だな???
刀剣男士達が顕現し、色々なことを経験して湧き上がった情動を歌に託し、言葉を依代としてマレビトを、新たな仲間となる刀剣男士を招く。
しかし彼らを励起しこの世に人の姿で顕現する為には審神者の力が必要。
観客はミュ本丸を観ながら、ミュ審神者の声を聞きながら、自分達もこうして男士達を励起しているのだ、という擬似体験のようなものを得る。
(いやうちの本丸はこんなのナイナイって人も多数いると思いますが、構造的にそうかな?という話で)
ミュージカルって好きな人は好きですが、何でいきなり歌い出すの?!喋ってた途中でしょ?!!いや実際問題歌は情景や心情描写の手法であって現実世界で歌い出してるわけではないとは判ってるけど!やっぱり突然歌い出すのが受け付けない!!って感じで敬遠する人も多いですよね。
私も刀が歌うのはちょっと…??と最初は思ってましたし。
で、まあミュージカル刀剣乱舞はまあ、ミュージカルだから歌うんだよ。と思ってたんですけど、歌合においてこの本丸の刀剣男士たちにとって歌がどういうものなのか、言葉とはどういうものなのかがスパーンと提示されてしまい…。
古来、言葉は特別なもので、言霊などは今でもその概念が残ってると思いますが、神の名などは口にした音そのものにも力があると信じられていました。
ミュ本丸の刀剣男士達は、その上代の信仰に近いというか、思考が神様視点にあるというか、人間の身体を得て心を得て、それによって苦しんでも決して人間ではない、というそのスタンスがより明確になったな、と私は感じました。
そしてその歌合。
歌と共に繰り広げられる六つの物語。歌がない二つの話。
歌合は本来なら五人ずつが五つの歌で競い合う。つまり合計十首の歌になる筈ですが、ここでは神事なので変則的。
そしてどうやら、物語は全て過去の話であり、神事の中でそれぞれの歌にはこういう出来事があったよね、という回想であるらしい。
実際には冒頭の神事が粛々と進み、それぞれが自分達の経験や思考を託した歌を炎に焚べているだけなのだろう。
で、これも気付いた方凄いな?!なんですけど、物語全体で鍛刀の過程を表して、歌の付されない二つの物語、芋と鯛は贄、お供え物でもあるのでは?と…。
因みに私は六つの話で人間の体が形作られる過程、即ち六根(人間が持つ五感+意識)に対応しているのかな…?と考えて、それもあながち間違ってはないと思ってるんですけど、あと2つが判らない…芋と鯛、おめでたいのは判る…ともやもやしてたんですけど、贄か!贄なーー!!そら神事には要るよ、お供え物!と気持ち良く腑に落ちました。
贄が最後でなく中にいるのは鍛刀の過程も兼ねているからだ、とするなら納得。
何これめっちゃ神事。(何度目だよ)
ここまで書きましたが、本編に全く至ってないのに文章が長い…:(>^o^)>:
一旦ここで切ります。
六根やら神事の終わりに関しては次の記事に。
ディレイやらを見たらまた加筆訂正等するかも知れません。